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JA7DPH(アマチュア無線局)は昭和40年8月八戸市にて開局しました。

Aoba-ku Sendai-city 989-3204 JAPAN
Loc:QM08 ITU:45 CQ:25 JCC:0601

ラジオ・テレビ放送開始の頃

ラジオ放送が始まった頃(3月22日は放送記念日)
(画像にマウスで画像が切替り、さらにクリックでアルバムへジャンプします。)

 東京放送局(JOAK)は1924年(大13)11月29日に設立された。翌1925年1月10日には名古屋放送局(JOCK)、同年2月28日に大阪放送局(JOBK)が設立され、東京、名古屋、大阪の3大都市において急ピッチで送信局建設が行われました。
 いずれも、個々の社団法人として設立され、先を争って日本初のラジオ放送を開始を目指していたようです。そして、3社は1年後に逓信省の指導で統合され、(社)日本放送協会として発足しました。
 東京放送局は送信機(アメリカ製改造)などの工事遅れにより、名古屋、大阪に先を越されそうな状況だったようですが、ようやく1925年(大14)3月22日、東京・芝浦の仮放送所からラジオの試験放送を開始する事が出来たようです。
 日本のラジオ放送の歴史はここから始まりました(実験放送は3月1日から)。この日、午前9時30分の「JOAK、JOAK、こちらは東京放送局であります」の第1声はあまりにも有名な話です。
 また、当時使われていたラジオ受信機は「探り式鉱石受信機」がほとんどで、第一声の「アーアー」は、この間に聴取者が鉱石の針先を一番感度の良い部分に調節できるようにするための配慮とも言われています。
 波長は375m(周波数800kHz)、空中線電力(出力)約220Wでした。当時は受信機の性能に比して出力が弱かったため、東京市内でないとよく聴こえなかっようです。
 同年6月1日からに大阪が仮放送(500W)を開始、7月12日に東京放送局が愛宕山に移り本放送を開始、7月15日には名古屋が本放送(1kW)を開始しました。
 都市部のみのサービスエリアでしたが、本格的にラジオ放送が始まりました。アメリカから5年遅れての放送開始でした。
※探り式鉱石ラジオ⇒鉱石に直接針を当て、安定して聞こえる位置を探り当て、レシーバーで受信する方式。
★アルバム⇒ラジオ放送開始の頃 (NHK放送博物館見学)

テレビ放送が始まった頃
(画像にマウスで画像が切替り、さらにクリックでアルバムへジャンプします。)

 NHKは、1948 ( 昭和23 ) 年6月に、戦後初めてのテレビの公開実験を行いました。
 そして、1953 ( 昭和28 ) 年2月1日から、テレビの本放送を開始しました。設備のほとんどに国産品が使われました。公開実験の開始から23年、高柳健次郎氏がテレビジョンの研究をはじめてから、すでに30年が経過していました。
 本放送開始当日の受信契約数は、およそ900件、そのうち、500件程がアマチュア無線家などによるによるキット自作の受像機であったとの記録が残されています。それだけ完成品の値段は、高額だったものと思われます。
 私が入社した頃、職場の先輩にもキットを購入し自作をしたという方が居りましたが、実態配線図が付いていたようでした。それにしても、大した測定器も無い時代、よく作ったものだと感心させられました。
★アルバム⇒テレビ放送開始の頃 (NHK放送博物館見学)

高柳式テレビ(復元模型)
(画像にマウスで画像が切替ります。)

 それは、「イ」から始まりました、、
NHK放送博物館には、“日本のテレビジョンの父”といわれる高柳健次郎氏が製作したテレビが復元され、当時と同じ「イ」の文字が写し出されています。
高柳式テレビの原理 (NHK放送博物館見学から)
(画像クリックで拡大します。)


【所蔵:NHK放送博物館

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