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JA7DPH(アマチュア無線局)は昭和40年8月八戸市にて開局しました。

Aoba-ku Sendai-city 989-3204 JAPAN
Loc:QM08 ITU:45 CQ:25 JCC:0601

確かな技術と自由な発想 新しいライフスタイルをご提案します

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 私のコールサインはJA7DPH(アマチュア無線)、幼い頃、ラジオ少年の夢は「第1級無線通信士」になることでした。そして外航商船などの通信士になって七つの海を駆け巡るんだなどと、、ドキドキしながら妄想をかきたて少年時代を過ごしました。v(^_^)v
 ところが気がつけば就職した先は電力会社、毎日の仕事は弱電通信とは真逆の超高圧鉄塔上での宙乗り作業でした。その後、電力会社の中に通信関係の職場があることを知り間もなく転職することとなりました。この「転職」がまさしく私の「天職」となり、電力のUVHF移動無線+マイクロ無線〜東北の通信事業推進(PHS・光通信)等など、大好きな「無線」を通じて関わることができました。m(_ _)m
 今は衛星通信・光ファイバ通信の時代、モールスによる通信も必要なくなりました。未だ第1級無線通信士(現第1級総合級無線通信士)を受験しないうちに、電気通信術(忍術、手品と同じ術?)がなくなりそう(^^!!。もしかして、通信士資格そのものが無くなるかもしれません。
 花の無線通信士にあこがれたものの、肝心の電気通信術が大の苦手、、結果して電気通信術は自分に適性がないことを知り、無線機など機械いじりが自分に合っているんだという事に気がつきました、、(^^!!
 そんな訳で、「第1級無線通信士」になるという果たせぬ夢を、アマチュア無線の世界で楽しんでおります。電鍵は今も縦振り電鍵、試験官と向き合っての送信受験が昔々の思い出となりました。m(__)m。

昔々高嶺の花だったアマチュア無線受信機
TRIO(春日無線) 9R-42J〜9R-59
(画像にマウスを置くと画像が切替ります。)

 私は戦後の団塊世代終わり頃(s24)の生まれ、あの町この村に子供が溢れ遊んでいた、いわゆるベビーブーム世代です。
 敗戦から10年にも満たない頃、TRIO(春日無線)は町工場の様なところで、アマチュア無線機、オールバンド受信機をを作っていたのですね。今のケンウッドのチューナー(受信機)技術に繋がるDNAですね。
昭和30年(1955)9R-42J、 米国LAFAYETTE(ラファイエット)社 HE-10
昭和36年(1961)9R-59、 米国LAFAYETTE(ラファイエット)社 HE-30
 米国製受信機の模倣的なレベルからのスタートと思われますが、アマチュア無線機の開発に熱き思いを抱いていた、設計者のパイオニア精神に敬服します。

初任給で買ったアマチュア無線機器
(画像にマウスを置くと画像が切替ります。)

 入社間もない頃、給料の大半を注ぎ込んで、アマチュア無線機のキットを買いました。キットの組立と、完成後の無線交信〜調整・動作確認など、考えてみると2度の面白さを感受出来たのですね、、。
 もちろん、その頃の無線機は全て真空管式、GMチェッカーで真空管の性能劣化を確認しながら、大事にだいじに使っていました。


現在の局設備
RIG⇒JRC/JST-245H(150W)&YAESY/FT-901D(100W)
ANT⇒Vertical(3.5MHz、7MHz、14MHz、21MHz、28MHz)
  Triband-GP(50MHz、144MHz、430MHz)
  Mobil-Whip(1.8MHz、10MHz、18MHz、24MHz)


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